新竹のお土産といえば、ビーフンと豚の肉団子です。しかし、「竹塹 餅」という玉ねぎ、ラード、砂糖など、ちまきで使われる材料が入って いる大きな饅頭ケーキがありますが、この竹塹餅は新竹の最も伝統的 なお土産かもしれません。 日本統治時代初期の1898年、新竹城隍廟でちまきを売る呉昌源氏 はちまきの材料で余ったものを使って、竹塹餅を作り出しました。 竹塹餅は多くの参拝者に好まれたため、城隍廟のサイドゲートで新 復珍商社を設立したのです。
パン屋としての商売が繁盛していて、日本から缶詰を輸入して卸し ていたので、とても人気がありました。 当時、森永製菓や明治などのお菓子メーカーの代理店権を取得し、 事業の多角化を図り、新竹では一番有名な商社となりました。 これらの資料は、オフィスの隅にある古い金属製の棚に保管されて います。
ビジネスを始めた当初は順風満帆のように見えましたが、続けるの は簡単ではありません。1970年代から80年代にかけて、城隍廟周 辺には多くのベーカリーがあり、さまざまなオリジナルケーキを販売 していました。 当時の新復珍商社は長い間改装されておらず、みすぼらしい感じが していました。そして、経営状態もかなり悪化していました。
現在のCEOである呉氏の父親は、台北で薬局を経営しており、 ベーカリーの運営には関与していませんでした。当初は引退する予定 でしたが、52歳の時に新竹に戻り、当時は廃業寸前だった 「新復珍商社」を引き継ぎました。
呉氏によれば、引き継いで戻ってきたときには、資産はほとんど なくなっていたそうです。
スーツを脱いで、白いパン職人服を着ました。1日に8000枚のパイ 生地を作ったこともあります。機械になったように作り続けました。 このようなしっかりとした修業をしたことで、彼はすぐにパン業界に 入ることができました。
伝統的な文化を取り入れた店舗に改装し、商品パッケージもシンプルで 透明なものを求めました。消費者はパイの成分を一目で見ることができる ので、より安心して購入することができます。 菓子の皮(かわ)には黒豚を使い、防腐剤は使わないなど、こだわりがあり ます。 最終的に商品名を「竹塹餅」としました。

穏やかな性格の呉氏は、店舗の拡大や派手なプロモーションに積 極的ではありません。長年「竹塹餅」を食べてくれる常連のお客さ んを大切にしています。積極的なマーケティングは行っていません が、中国の方々の間でも知られています。 2012年中国のペイストリーブランド100選に選ばれました。
日本で台湾カステラと呼ばれている蒸しケーキや抹茶小豆のもちもち ケーキなど、新しいケーキの導入にも挑戦しています。 呉氏は若い人たちに新しい商品を開発してほしいですが、同時に 初心を忘れないでほしいと思っているそうです。
呉氏は金属製の棚に飾られた白黒写真を見ながら、曾祖父から続い ているこの新復珍の看板を、私たちの子孫が受け継いでくれればいい なぁと思っているそうです。